会津と中通りを結ぶ間道 御霊櫃峠

会津盆地に入る峠、旧白河街道の間道、御霊櫃峠(ごれいびつ)を紹介します。
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会津地方は、山国の盆地です。
会津の町や村に入るには、必ず山を越さなければなりません。
昔から峠があり、集落がありました。
たくさんある旧街道の峠が、今はどうなっているのか、調べてみました。
2回目は、御霊櫃峠(ごれいびつとうげ)です。

御霊櫃峠は、旧白河街道の間道で、会津藩から奥羽山脈を越えて安積郡に至る峠です。
御霊櫃峠の往来は、江戸時代以前から盛んでした。
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会津若松から猪苗代湖の北西岸の戸ノ口の港に出ます。
戸ノ口から湖上を船で渡り、夕方には、東岸の浜路に着き旅籠に泊まります。
翌朝、御霊櫃峠を越して安積郡、現在の郡山や須賀川方面に向かいました。

湖南町浜路の県道9号線から林道に入ります。
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道路の両側の田んぼがなくなり、山道が始まります。
郡山市逢瀬町多田野(ただの)まで、13kmの林道です。
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4m幅の道路ですが、舗装してあり、時々待機所があるので、運転は、難しくないです。
浜路から15分ほどで、御霊櫃峠に着きます。
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道路幅が広くなっていて、数台の駐車スペースもあります。
トイレがあり、説明の看板もあります。
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御霊櫃の名前の由来は、失脚した貴族の怨霊を鎮めるために御霊供養が行われた、平安時代の御霊信仰が基になっていると考えられます。
八幡太郎義家が東征した前九年の役の時、賊徒を征敗し、御霊の宮としてこの地に社を創建しました。
ところが賊徒の怨霊のたたりで、この地に五穀が実らなくなった。
困った村人たちは、その御霊を山上の石櫃に鎮祭し祈願したところ、暗雲が晴れ、作物が実るようになりました。
それ以来、この御石を御霊櫃と崇め、峠を御霊櫃峠と呼ぶようになりました。
多田野にある多田野本神社は、もと御霊明神と言います。

峠から東側には、郡山市街地が望めます。
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西側には、猪苗代湖が見えます。
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峠に上った人たちは、この眺望に安堵したことでしょう。
峠から尾根沿いに、登山道があります。
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ツツジやシャクナゲなどが自生していて、夏の間は、ドライブ、ハイキングにはいい場所だと思います。
しかし、11月末のこの日は、風が強く雪が舞っていました。
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古い時代からの峠道と言うことで、幕末の戊辰戦争(会津戦争)でも、重要な場所でした。
郡山側から侵攻してくる新政府軍に備え、会津藩では、御霊櫃峠にも砲台をつくり、小隊を配備していたようです。
しかし、新政府軍は、母成峠に侵攻したため、御霊櫃峠の会津軍は、戦わずして撤退しました。

峠から100mぐらい湖南側に、峠地蔵尊があります。
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昔から猪苗代湖上で、天候の急変によって遭難する人が後を絶たなかったので、死者の霊を供養するために延命地蔵をつくったということです。
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この地蔵は、明和8年(1771年)に、創建されたと伝えられています。
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旅人の守護・延命・招福に霊験あらたかなので知られています。

峠から郡山市逢瀬に下ります。
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途中から峠の方を見ると、なだらかな稜線が見えます。
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峠から林道の終点まで、20分で下りました。
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峠の標高が810m、猪苗代湖が540m、逢瀬町が260mなので、峠から郡山側の方が、急な坂道が続きます。
夏には、快適なドライブが楽しめそうな峠道です。

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会津藩と二本松藩の境界 旧二本松街道 楊枝峠

会津盆地に入る峠、旧二本松街道の楊枝峠を紹介します。
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会津地方は、山国の盆地です。
会津の町や村に入るには、必ず山を越さなければなりません。
昔から峠があり、集落がありました。
たくさんある旧街道の峠が、今はどうなっているのか、調べてみました。
1回目は、楊枝峠(ようじとうげ)です。

楊枝峠は、旧二本松街道の会津藩と二本松藩の境界の峠です。
現在の猪苗代町壺下(つぼろし)から鞍手山(くらてやま)を越えて、郡山市中山宿に至る途中です。
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藩政時代は、郡山は、城下町ではなかったので、中山宿までが二本松藩の領地でした。
この楊枝峠は、中山峠とも呼ばれ、会津と中通りを結ぶ重要な街道、峠でした。

猪苗代町壺下の県道322号線から集落の方に入っていきます。
古い大きな家が、道路沿いに並んでいて、街道の宿場だったことが想像できます。
1.5kmぐらい進むと、磐越自動車道が見えてきます。
さらに1.5kmぐらい進むと、大きな石碑が建っています。
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かつて、楊枝部落があったという石碑です。
裏側に詳しい説明があります。
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壺下と中山の間には、宿駅がなく不便だったので、楊枝峠の近くのこの地に、慶長2年(1596年)会津藩主蒲生氏郷(がもううじさと)が、楊枝村を開き、百姓を常駐させました。
江戸時代には、重要な宿場として機能します。
幕末の戊辰戦争(会津戦争)の前は、会津藩が守備を固めていましたが、新政府軍が攻めてきたときには、母成峠の守備にまわったため、楊枝峠での戦闘は行われませんでした。
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明治になって、楊枝峠の南側の中山峠を通る国道がつくられ、楊枝峠を通る人が少なくなります。
明治19年には、楊枝村が大火に見舞われ、壺下に近い所に移転します。
時代が進んで、昭和60年代になり、磐越自動車道の建設計画が出されます。
磐越自動車道の路線は、楊枝村を通ることになり、全世帯が移転対象になり、平成2年、楊枝村は、廃村になりました。

楊枝村があった所に、石碑がたっています。
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そこから、磐越自動車道の下をくぐり、狭い道を進んでいくと、墓地があります。
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楊枝村の墓地は、現在も残されていて、ここまでは、道路も整備されています。
ここから、楊枝峠までは、数百メートルなのですが、道路をえぐって沢の水が流れている状態だったので、乗用車で先に行くのは、断念しました。
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楊枝峠の下には、磐越自動車道の鞍手山トンネルがあります。
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旧二本松街道と楊枝峠があった所は、現在でも交通の要衝で、高速道路とトンネルになっているということです。
会津の歴史は、おもしろい。
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会津藩その後⑩ 会津から皇族へ

1928年(昭和3年)9月28日、昭和天皇の弟・秩父宮雍仁親王と、松平節子(まつだいらせつこ)さんが、結婚しました。
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松平節子さんは、戊辰戦争(会津戦争)の時の会津藩主・松平容保の六男で外交官の松平恆雄の長女です。
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「逆賊」「朝敵」といわれ、会津戦争で降伏した1868年(明治元年)9月から、60年でした。
旧会津藩の士族の復権につながり、会津人は感激して、提灯行列でお祝いしたということです。
成婚に際し、皇族の「節子(さだこ)」の同字を避け、皇室ゆかりの伊勢と会津松平家ゆかりの会津から一字ずつ取り、同音異字の勢津子に改めました。
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節子さんが、結婚する前に家族と宿泊したのが、東山温泉の新滝です。
新滝では、3階建ての別館を建ててお迎えしました。
昭和48年に、会津若松市内の御薬園に2、3階部分が移築されました。
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勢津子さまの誕生日、9月9日にちなみ、「重陽閣」と命名されました。
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室内が公開されることがあります。
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1990年(平成2年)6月29日、秋篠宮文仁親王と、川嶋紀子(かわしまきこ)さんが結婚しました。
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川嶋紀子さんは、会津藩士池上武輔の息子、池上四郎のひ孫に当たります。
池上四郎は、1857年(安政4年)、会津若松市で生まれ、11歳の時、会津戦争を経験し、父と共に斗南藩へ移住しています。
その後、1913年(大正2年)、57歳で大阪市長に就任しています。
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会津戦争後の120年間に、会津人の子孫の2人が皇族に嫁いでいるというのは、会津人が誇りとするところです。

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