会津藩領への突破口になった母成峠

戊辰戦争(会津戦争)の始まりは、母成峠(ぼなりとうげ)の戦いでした。
1868年(慶応4年)8月21日未明(新暦10月)
白河、二本松を陥落させた新政府軍は、3000名の軍隊で会津藩領に迫ります。
会津藩領に入るには、峠を越えなければなりません。
新政府軍の参謀板垣退助は、険しい道だが、峠を越えると猪苗代、会津若松と侵攻しやすいということで、母成峠を選び、軍隊を結集させたようです。
一方、会津軍は、どこの峠から来るか分からなかったので、複数の峠に兵力を分散させて守備に当たりました。
その結果、母成峠の守りについたのは、800名でした。

現在は、母成峠に行く道は、母成グリーンラインとして整備され、峠には、駐車場があり、案内板が設置してあります。
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大きな石碑もたっています。
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晴れた日には、吾妻連峰がきれいに見えます。
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その日、8月21日は、霧が深く立ちこめ何も見えない状態でした。
峠を囲むように進攻してきた新政府軍は、峠の塹壕(ざんごう)や防塁(ぼうるい)にいた会津軍を砲撃しました。
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母成峠の二本松藩側のふもとの石筵村(いしむしろ)の農民が、会津軍の背後に回って攻撃したという話もあります。
8月21日のうちに、両軍合わせて70名ほどの死者を出し、会津軍は、撤退します。
会津軍が掘った塹壕と防塁が今も残っています。
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林の中に遊歩道があります。
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低いところが塹壕(ざんごう)、高いところが防塁(ぼうるい)です。
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母成峠の戦いに勝った新政府軍は、猪苗代城下に迫り、8月22日夕方には、猪苗代湖畔の戸ノ口に着きます。

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