会津藩と二本松藩の境界 旧二本松街道 楊枝峠

会津盆地に入る峠、旧二本松街道の楊枝峠を紹介します。
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会津地方は、山国の盆地です。
会津の町や村に入るには、必ず山を越さなければなりません。
昔から峠があり、集落がありました。
たくさんある旧街道の峠が、今はどうなっているのか、調べてみました。
1回目は、楊枝峠(ようじとうげ)です。

楊枝峠は、旧二本松街道の会津藩と二本松藩の境界の峠です。
現在の猪苗代町壺下(つぼろし)から鞍手山(くらてやま)を越えて、郡山市中山宿に至る途中です。
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藩政時代は、郡山は、城下町ではなかったので、中山宿までが二本松藩の領地でした。
この楊枝峠は、中山峠とも呼ばれ、会津と中通りを結ぶ重要な街道、峠でした。

猪苗代町壺下の県道322号線から集落の方に入っていきます。
古い大きな家が、道路沿いに並んでいて、街道の宿場だったことが想像できます。
1.5kmぐらい進むと、磐越自動車道が見えてきます。
さらに1.5kmぐらい進むと、大きな石碑が建っています。
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かつて、楊枝部落があったという石碑です。
裏側に詳しい説明があります。
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壺下と中山の間には、宿駅がなく不便だったので、楊枝峠の近くのこの地に、慶長2年(1596年)会津藩主蒲生氏郷(がもううじさと)が、楊枝村を開き、百姓を常駐させました。
江戸時代には、重要な宿場として機能します。
幕末の戊辰戦争(会津戦争)の前は、会津藩が守備を固めていましたが、新政府軍が攻めてきたときには、母成峠の守備にまわったため、楊枝峠での戦闘は行われませんでした。
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明治になって、楊枝峠の南側の中山峠を通る国道がつくられ、楊枝峠を通る人が少なくなります。
明治19年には、楊枝村が大火に見舞われ、壺下に近い所に移転します。
時代が進んで、昭和60年代になり、磐越自動車道の建設計画が出されます。
磐越自動車道の路線は、楊枝村を通ることになり、全世帯が移転対象になり、平成2年、楊枝村は、廃村になりました。

楊枝村があった所に、石碑がたっています。
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そこから、磐越自動車道の下をくぐり、狭い道を進んでいくと、墓地があります。
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楊枝村の墓地は、現在も残されていて、ここまでは、道路も整備されています。
ここから、楊枝峠までは、数百メートルなのですが、道路をえぐって沢の水が流れている状態だったので、乗用車で先に行くのは、断念しました。
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楊枝峠の下には、磐越自動車道の鞍手山トンネルがあります。
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旧二本松街道と楊枝峠があった所は、現在でも交通の要衝で、高速道路とトンネルになっているということです。
会津の歴史は、おもしろい。
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