会津藩その後⑤ 柴五郎

会津戦争終戦の8年前の1860年、会津藩士の子として柴五郎(しばごろう)は、生まれました。
終戦後1869年(明治2年)、会津藩の武士たちと一緒に斗南に移住します。

1871年(明治4年)廃藩置県により、青森県庁の給仕に採用されます。
その後、東京に移ります。
1873年(明治6年)、13歳で陸軍幼年学校の試験に合格します。
斗南では、苦しい生活を送りましたが、若かったので、彼を助ける人物が多く、試練に耐えられたのだと思います。
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その後、陸軍士官学校に進み、
1879年(明治12年)、陸軍砲兵少尉に任官され、翌年士官学校を卒業します。
1894年(明治27年)、陸軍少佐に進級し、大本営参謀になります。
1895年(明治28年)、日清戦争に出征し、5月に帰還します。
1899年(明治32年)、陸軍中佐進級を経て、
1900年(明治33年)、清国公使館附を命ぜられます。駐在武官として着任まもない5月、義和団の乱が起きます。柴は、居留民保護にあたり、また他国軍と協力して60日に及ぶ篭城戦を戦い、その功を称えられますた。
1902年(明治35年)、陸軍大佐に進級します。
1904年(明治37年)、野戦砲兵第十五連隊長として日露戦争に出征し、
1906年(明治39年)、帰還します。
1919年(大正8年)、陸軍大将に進級します。
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1945年(昭和20年)、太平洋戦争敗戦後に身辺の整理を始め9月15日に自決を図りますが、果たせませんでした。しかし、同年12月13日、そのけががもとで病死しました。85歳でした。

会津藩士の子の英雄の一人です。

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