会津藩その後⑥ 新選組

1863年(文久3年)、将軍徳川家茂が上洛するときの警護の名目で募集した浪士が、一団を成して京都に向かいます。
その後、京都守護職になった会津藩松平容保(まつだいらかたもり)預かりの浪士組になったのが、「新選組」です。
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新選組は、「誠」を旗印にして、京都の治安維持にあたります。
1864年(元治元年)池田屋事件で尊皇攘夷派志士を殺害します。
禁門の変では、会津藩と共に戦います。
この結果、朝廷・幕府・会津藩から恩賞をもらい、200名を超す集団へと成長します。

1867年(慶応3年)鳥羽・伏見の戦いでは、幕府軍として戦います。
そのまま、戊辰戦争・会津戦争に巻き込まれていきます。

近藤勇(こんどういさみ)は、上洛して京都に残り新選組を結成したときの最初の組員の一人で局長になっています。
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1865年(慶応元年)、長州側と会見するため、広島に出張しています。
鳥羽・伏見の戦いに参戦した後、江戸に戻っています。
1868年(慶応4年)、戊辰戦争に備え、会津に向かいますが、埼玉県内で新政府軍に捕獲され、斬首されます。

土方歳三(ひじかたとしぞう)は、新選組の最初の組員で、近藤勇が局長のときに副長になっています。
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池田屋事件、鳥羽・伏見の戦いにかかわり、その後、江戸に戻ります。
1868年(慶応4年)、江戸城が開城すると、江戸を脱出し、宇都宮の戦いで勝利します。しかし、新政府軍との戦いで、足を負傷し、会津で3ヶ月の療養生活を送ります。
会津戦争が始まると、母成峠の戦いから参戦しますが、敗北し、仙台に向かいます。
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仙台で、榎本武揚と合流し、箱館戦争に参戦します。
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1869年(明治2年)、新政府軍の箱館総攻撃により戦死します。

斎藤一(さいとうはじめ)は、新選組最初の組員で、20歳で幹部になっています。
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池田屋事件、鳥羽・伏見の戦いにかかわり、その後、江戸に戻ります。
会津戦争が始まると、白河口、母成峠の戦いに参戦します。
会津藩士とともに、若松に退却しますが、城には入れず、神指町の如来堂で、新政府軍と戦います。
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ここは、激戦地でしたが、斎藤一は、生き延びます。
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かつて、神指城の本丸があったところです。
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会津藩の降伏後は、捕虜となった会津藩士とともに、謹慎生活を送り、その後、斗南藩に移ります。

1874年(明治7年)、東京に移り、警視庁に採用されます。
西南戦争に参加し、戦後に叙勲を受けています。
その後、東京高等師範学校附属東京教育博物館看守に奉職し、山川浩らと交流が続きました。
1915年(大正4年)、72歳で亡くなっています。
会津若松市の阿弥陀寺に、藤田姓の墓があります。
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会津藩士になったと言える、斎藤一です。

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