会津藩その後⑨ 鶴ヶ城再建

1868年(明治元年)の戊辰戦争(会津戦争)で、焦土となった若松の町は、約4万人の人口の半数以上を占めていた武士階級がいなくなりました。
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1869年(明治2年)、廃藩置県により、若松県が成立します。
1874年(明治7年)、鶴ヶ城の取り壊しが始まります。
このころは、急速に西洋文化が取り入れられ、日本古来の文化は、軽視された時代でした。
さらに、新政府への不平士族の動きも活発で、政府は、士族の反乱に神経をとがらせていました。
特に、旧会津藩士の精神的な支えである鶴ヶ城の取り壊しは、政府の願うところでした。
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城内の建物は、次々に取り壊され、石垣と堀だけを残して荒城となりました。

1876年(明治9年)には、福島県に編入します。商人や職人が、町の復興に立ち上がったのでした。
1889年(明治22年)の市町村制制定の際には、全国で38の市が誕生しますが、福島県には、市ができませんでした。
戊辰戦争に敗れ朝敵となったため、新政府ににらまれ差別されたという話もあります。
このころの若松の人口は、約2万2千人でした。
この後、人口が増え続け、10年後の明治32年、福島県下最初の市「若松市」が誕生します。

鶴ヶ城再建を提案したのは、1948年(昭和23年)に若松市長になった、「横山 武」でした。
再建には、巨額の費用がかかるため、市民の間でも賛否が分かれました。
そして、1957年(昭和32年)、戊辰90周年記念祭において、天守閣の再建決議文が読み上げられました。
本格的に始動したのは、昭和36年からで、再建資金は、1億5千万円(当時)でした。
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1965年(昭和40年)、落成式が行われ、横山市長は、羽織はかまで式辞を読みながら、感極まって涙を流しました。永年の夢が結実した万感の思いに、人々は思わず静まりかえり、やがて深い感動が会場全体を包みました。
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2015年(平成27年)、再建50周年を迎えた天守閣は、会津のシンボルとして大きな観光資源になっています。
再建に執念を燃やした横山市長の先見性を、高く評価してもいいのではないかと思います。
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