みんなで遠足!この地をふみしめる② ふもと編 土津神社周辺

福島県猪苗代町の「はじまりの美術館」のイベント「みんなで遠足!この地をふみしめる」に参加しました。
2回目は、5月12日 ふもと編「土津神社周辺をふみしめる」です。
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猪苗代町内にある土津神社に集合し、土津神社 禰宜 宮澤さんに案内していただきます。
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当日の参加者は、9名。お話を聞くのには、ちょうどよい人数です。
まず、宮澤さんの案内で、土津神社の本式参拝をします。
御手洗(みたらし)で、清め方を教えていただき、やってみました。
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ひしゃく1杯の水で、手を洗い、口をゆすいで、清めます。

土津神社拝殿の中に入ります。
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宮澤さんが、太鼓をたたいて、祈祷が始まり、2礼2拍手、代表の人が玉串を捧げました。
宮澤さんから、お話をいただきました。
保科正之公について、土津神社について。

次に、保科正之公の墓所、奥の院に向かいます。
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杉並木と玉石の参道を10分ほど歩くと、墓所があります。
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葵の紋が入った門があり、ここから奥の墓所は、国の史跡にしていされているので、ふだんは、入れないそうです。
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土津神社本殿から見て、墓所は、北の方向になっています。
墓所から見ると、南に本殿、そして、日光東照宮の方向になっています。
また、墓が造られてから発掘調査がされていないということで、徳川の埋蔵金があるかもしれないという話でした。

土津神社の入口まで戻って、道路を横断すると、「キリシタン殉難の地」の案内板があります。
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ここも、宮澤さんに案内してもらいました。
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平成元年に建てた石碑があります。
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会津を蒲生氏郷が治めていた時代に、猪苗代では、多くのキリスト教信者がいたようです。
その数、住民の8割ともいわれています。
しかし、元和8年(1622年)より弾圧が始まり、2年後には、将軍徳川家光の命により信徒がことごとく処刑されました。
そのときの亡きがらがこの地に葬られたという場所です。
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当時のものと思われる石積が3か所あり、真ん中に石碑が建っています。
ここから、約五百メートル離れたところには、磐椅神社があり、その西隣には、教会があったということです。
この後、猪苗代に隠れキリシタンが多くなったようです。

キリシタン殉難の地のすぐ近くに、土津神社神官の墓所があります。
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墓石に掘ってある名前が、○○家ではなく、漢字の当て字になっています。
神式だからということです。
その中に、服部安休(はっとりあんきゅう)の墓があります。
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服部安休は、織田信長と共に本能寺の変で亡くなった森蘭丸の孫です。
1675年に完成した土津神社の初代神官です。
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最後に、土津神社境内に戻って、白い鳥居の説明がありました。
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白い鳥居は、そんなに珍しいものではないということです。
この大きな鳥居の向こうにあった、荘厳華麗な神殿造りの社殿は、「東北の日光」といわれていましたが、戊辰戦争(会津戦争)で、会津軍により焼き払われてしまったのが、残念です。

禰宜のの宮澤さんから、土津神社とその周辺の秘密をいろいろ教えていただき、おもしろかったです。
関係者のみなさん、ありがとうございました。
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