会津戦争⑦ 新政府軍、会津城下を包囲

戊辰戦争(会津戦争)は、
1868年(慶応4年)8月23日、新政府軍が、若松城の外堀の郭門を突破、郭内に侵入します。

8月24日、新政府軍は、兵を市街地から引き揚げ、新たに包囲態勢を整えます。
城外の建物は、焼き払われ、若松城は、焼け野原に孤立します。

8月25日になると、越後口の守備隊が若松に戻って来ます。
そして、坂下(ばんげ)に待機していた衝鋒隊とともに若松城に向かいます。
この衝鋒隊には、城に入れなかった「娘子軍」が男装をして従軍していました。
越後街道の柳橋まで進むと、新政府軍と衝突します。
男装していた女たちは、見破られて生け捕りにされそうになりますが、なぎなた免許皆伝の中野竹子は、敵を切り伏せます。
しかし、銃弾がその胸を貫きました。
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中野竹子殉節の碑がたてられています。
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8月26日
越後口から引き上げた会津軍は、城に入れませんでしたが、日光口方面から引き上げた家老山川大蔵(やまかわおおくら)は、首尾よく入城します。
山川は、新政府軍に包囲されている若松城を見て、考えました。
近くの農家から太鼓を借り、兵たちに、会津の俗謡「彼岸獅子」のはやしをうたわせました。
新政府軍は、これを百姓の行列だと思い、ながめていました。
そのすきに、まんまと入城してしまったのです。
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若松城を包囲した新政府軍は、若松城の南東にある小田山が要害であることを探り出し、大砲を持ち込んで設置します。
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小田山公園入口から歩いて15分、8か所の砲台の跡が、残っています。
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小田山から若松城までは、約1300m、高低差約100mでした。
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砲台跡から若松城は、すぐ近くに見えます。
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天守閣までよく見えます。
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ここに、アームストロング砲を据え付けました。
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命中したかどうかが、よく見えるので、新政府軍は、だんだんに、その精度を上げていきました。
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ねらいすました砲撃が続き、城内では、死傷者が続出します。
籠城戦が始まりました。

城下での攻防につづく

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