水没した宿場に思いをはせる「桧原歴史資料館」
福島県北塩原村(裏磐梯)の「桧原歴史資料館」を紹介します。

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ここは、裏磐梯(うらばんだい)の桧原湖(ひばらこ)の北のはしになっていて、五色沼あたりから行くと、奥の方になります。
桧原湖は、大昔からあった湖ではありません。
今からちょうど130年前、1888年(明治21年)7月15日に磐梯山(ばんだいさん)が噴火して、その岩なだれによって川がせき止められ、桧原湖ができました。
湖ができる前は、川沿いに街道があり、宿場町がありました。
会津若松から米沢に行く「米沢街道」の「桧原宿」でした。
米沢街道は、会津と最上を結ぶ重要な街道でした。
一里塚や、宿場、関所などが、整備されていました。
山越えの道は、今でも残っていますが、桧原宿があったあたりは、川沿いの低い平地だったため、噴火で川下がせき止められると水没してしまいました。
ダム湖に水没した村のような状態です。
水没する前に、家財道具などを運び出したようで、今の桧原湖の湖面より高いところに集落ができています。
桧原宿の「検断屋敷」を移築復元したのが、「桧原歴史資料館」です。
館内は、左半分が、資料館、右半分が、食事処になっています。
資料館に入るときは、協力金として、一人100円払います。
館内は、撮影不可なので、写真は、ここまでです。
米沢街道や、当時の桧原の暮らしなどが分かる資料が展示されています。
水没した宿場の地図もあります。
びっくりしたのは、金、銀の鉱山があって、にぎわっていた時代があったということです。
現在でも、埋まっている鉱脈があるようです。
歴史資料館から桧原湖の方を見ると、遠くに磐梯山が見えます。
この湖の下に、宿場町がそのまま残っていると思うと、いろいろな思いが・・・
歴史資料館から数百メートル南の水際に、神社の鳥居があります。
この鳥居は、水没した桧原宿から参道を上ったところにある神社の鳥居で、宿場町より高いところにあったので、水没しないで残ったということです。
湖の水量が多いと、鳥居の途中まで水がくるようですが、この夏は、水量が少なくて、鳥居の下まで見えていました。
鳥居の前に、点々と見えるのは、参道の両側にあった木の跡です。
歴史資料館は、9時から入れます。
食事処は、10時から開店します。「山塩ラーメン」がおいしいです。
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