会津領主・藩主① 葦名氏の時代

奥州会津の領主は、鎌倉時代から江戸時代にかけて葦名氏ー伊達氏ー蒲生氏ー上杉氏ー蒲生氏と代わっていきました。
この時代の変遷を紹介します。
会津若松市内の小田山に、葦名家廟跡(あしなけびょうあと)があります。
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葦名(蘆名あしな)とは、本来は相模国(現在の神奈川県)の三浦半島の西側のある地域を指す地名です。
鎌倉時代の相模の守護は、三浦氏で、その一族で蘆名の地に定住した者が蘆名姓を称していました。
三浦党のひとり、佐原義連(さわらよしつら)が、奥州藤原の追討の功により会津四郡を与えられたのが、始まりです。
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佐原義連の孫の光盛(みつもり)の代から蘆名姓(あしな)を用いました。
初めて会津に入ったのは、7代目蘆名直盛(なおもり)で、康暦元年(1379年)でした。
この頃は、今の会津若松市は、黒川郷と呼ばれていました。
これは、東山温泉から会津盆地に流れる湯川が黒川と呼ばれていたことに由来します。
蘆名直盛(あしななおもり)は、至徳元年(1384年)、小高木(のち小田垣)に東黒川館を営みました。これが、後の若松城の前身です。

東黒川館を本拠地としながら、小田山にも城をつくっていたようです。
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蘆名氏は、400年にわたり、会津を治めることになります。
蘆名氏の墓所が小田山にあったようですが、古い時代の廟は、はっきり分からないようです。
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現在の小田山は、公園になっていて、駐車場が入口になっています。
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7代蘆名直盛の母が、建立した観音堂がありましたが、戊辰戦争(会津戦争)で焼けました。
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会津戦争で新政府軍が、若松城への砲撃の基地にしたのでした。
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蘆名氏の勢威が頂点に達したのは、16代蘆名盛氏の時代です。
蘆名盛氏の時代へ つづく

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