会津領主・藩主② 葦名盛氏の時代

鎌倉時代に会津の領主となった葦名氏、この葦名氏の勢威が頂点に達したのは、16代目、葦名盛氏(あしなもりうじ)の時代だといわれています。
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葦名盛氏が、領主になったのは、戦国時代、天文10年(1541年)から、永禄11年(1568年)までです。
盛氏は、武略にすぐれ、長沼・二本松・須賀川・郡山などを従わせ、越後の上杉氏・甲斐の武田氏・相模の北條氏・古河の足利氏と交わり、威を四方に張っていました。
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永禄11年(1568年)盛氏は家督を盛興に譲り、自分は岩崎山の向羽黒山(会津美里町本郷)に隠居城を築きました。
しかし、盛興は病弱で嫡子を残さずに亡くなります。
二階堂盛義の子盛隆を養子に迎えました。
天正8年(1580年)盛氏が亡くなると、葦名氏の血をひかない盛隆に対する反抗が強まり、盛隆は家臣に殺害されました。
その子亀王丸はわずか3歳で亡くなり、その後に伊達政宗の弟小次郎を迎えるか、佐竹義重の子義広を迎えるかで、大きな争いとなりました。その結果、義広が迎えられましたが、佐竹氏から送られてきた家臣と葦名氏の家臣の対立は日に日に強まり、葦名氏は大きな危機を迎えることになります。
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会津若松市内の小田山のふもとに、葦名家廟があります。
駐車場はありませんが、歩いて行けば、見られるようになっています。
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昭和、平成の時代に、整備されました。
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16代盛氏、17代盛興、18代盛隆の墓が並んでいます。
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15代までの廟は、近くにあるようですが、現在は、見られる状態には、なっていないようです。
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葦名氏の力が弱くなり、伊達政宗が攻めてきます。
伊達政宗の時代へ つづく

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